「HSP」について思うこと

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自分がHSPであると認めて楽になる人はいいけれど、そうでない人もいるのでは?と感じることがあった。

ちなみに私はカフェインの項目以外全部当てはまるバリバリのHSP。あるところで基礎講座を受けた後、ステップアップしてカウンセラー資格取得講座を受けるつもり満々だった。でも、タイミングが合わずに受けられず。その代わり、秋山まりあさんのCPMマスターコース講座を受講した。いずれにしてもカウンセラーとかセラピストとか、そういう仕事に興味があったから。

しばらくすると、「私はHSPなんだ」と認めたくない場面がある自分に気づいた。例えば、進学したときや職場が変わったとき。このときの自分は、意図的にいつもの私とはまったく違う自分になっている。まるで役者になったようにガラッと別人になれるのだ。だから、私のHSPらしい部分を知らない人たちからは「あんこさんは社交的」と思われている。

でもときどき、私のHSPらしさが顔を出して、その場を立ち去りたいくらいに恥ずかしくて落ち込むこともある。そんなときは、「私はHSPだから」と認めて、自分をヨシヨシしてあげる。私にとって「HSP」とはそのくらいの距離感がちょうどいい。「私はHSPだから」を連呼して、かえって自分を苦しめている人を見ると、私まで苦しくなってくる…。

CPM的に考えると、「HSP」という概念自体、存在しないのだと思う。いや、正しくは「あると信じている人にはあるし、ないと信じている人にはない」のだと。

そうこうしているうちに、「HSP」はずいぶんメジャー化してきた。病名だと勘違いしている人も多く、間違った情報が交錯している。

私が自分をHSPだと100%認めることができるなら、HSPについて深く学んで、正しい情報を広めようとするだろう。でも、先ほど述べたように、認めたくない部分の方が大きい。だから、HSPだと言わないようにしている(もうここで言ってしまったけど)。

HSPにとらわれすぎて苦しむ人に「大丈夫だよ」と大っぴらに声をかけられないから、ここでこっそり言おう。

大丈夫。

大丈夫だよ。


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